帰りのバスで、事件は起きた
帰りの送迎バスに添乗していたときのことです。
いつものように、子どもたちを乗せて
黄色のバスは園を出発しました。
窓の外を見ている子。
今日のできごとを、報告してくれる子。
座席の背もたれから、こちらをのぞく子。
帰りのバスには、少し疲れて、少し浮き立った、
独特のにぎやかさがあります。
そのとき、地震が起きました。
走行中のバス車内では、
何が起きたのか、すぐにはわかりません。
運転手さんが車両を止め、園と連絡します。
いつもとは違う大人たちの動きに、
子どもたちも異変を察知しました。
もうバスの車内は、すっかり、わちゃわちゃ
幸い、大きなトラブルはありませんでした。
安全を確認したあと、バスは再び走り出し、
子どもたちは無事に、
お母さんのもとへ帰っていきました。
やれやれ…運の悪い一日だったな。
私は、バスで園に戻って
その出来事を「解決済み」のつもりでした。
「先生は乗ってはいけません」宣告
次の日の帰り。
私がいつものようにバスへ乗り込もうとすると、
ひとりの子が叫びました。
「だめ!」
その子は身体をこわばらせ、
全力で私の乗車を阻止しようとしています。
私が乗れば、この世の終わり。
そのくらいの必死さです。
「先生、何かした?」
聞いても、理由はわかりません。
言葉が未熟な幼児ですから
事件報告書のように整理して
説明することはできません。
ただ、ひたすら、
「だめ!」「やだ!」「だめ!」
あまりの様子を見かねて
別の職員が添乗を代わってくださりました。
私は、バスの外に取り残され
出発していく車両を見送りながら考えます。
何をした? 私…。
容疑者は、私?
……まったく思い当たることが、ない。
昨日までは、一緒に楽しく乗っていました。
そもそも今日だって、バスに乗る直前まで
いっしょに笑って遊んでいました。
叱っていない。
無理もさせていない。
おやつを横取りした覚えもない。
それなのに、バスに乗ろうとした瞬間だけ
必死に、強烈に、拒まれる。
その次の日も、同じでした。
私がバスへ近づくと、その子の顔色が変わる。
「だめ!」
何度も拒まれると、さらに弱気になります…
私はトイレで、ひとり反省会を始めました。
声が大きかっただろうか。
笑い方が気に障ったのだろうか。
知らないうちに、決定的な失敗をしたのか。
最後には、悲しい結論にたどり着きます。
やっぱり、嫌われたのかなあ…
「私」という存在が、否定されている。
セラピストとして、目の前のこの子が、
何を訴えているのか、まるでわからない。
専門家らしい仮説も浮かばない。
鋭い観察力もぜんぜん発揮されない。
そんな情けない日が続きます。
とつぜん、想定外の許可が出たよ
数日後。
バス車両の交代の都合から、
いつもと違う青色の送迎バスに
私が添乗することになりました。
そこには、あの子もいます。
私は身構えます。
また「だめ!」と言われるかもしれない。
セラピストという肩書きが恥ずかしい…
おそるおそる、バスへ乗り込みます。
しかし、その子は何も反応しません。
私が乗っても平気。
隣りに座っても平気。
話しかけても平気。
あれ?
なにこれ?
どういうこと?
そこで、ようやく点と点がつながりました。
地震が起きた日の黄色の送迎バス。
そのとき添乗していた私。
その子は、怖かった出来事について
「あの黄色いバス」と「あの先生」で
怖いことが起きた!
この組み合わせで理解してしまったようです。
黄色バスに、あの先生が乗ると
きっと、また怖いことが起きる。
だから、先生を決して乗せてはいけない。
「私とあの黄色いバス」のセットが、
疑われていたのです。
青いバスと私のセットでは
その子のなかで警報は鳴りません。
ちなみに、その後しばらくは
黄色いバスだけ、乗車拒否が続きました。
大人とは異なる幼児の豊かな世界
大人なら、「たまたま起きた」と理解します。
けれど、子どもたちは「偶然」ではなくて
すべての出来事を「必然」と理解します。
子どもたちは、怖かった出来事を総括して、
予測可能で回避できるように試みます。
あの黄色いバス。
あの先生。
急に止まった車両。
慌ただしくなった大人たち。
なかなかお母さんのところへ帰れない時間。
記憶の断片から、因果関係を見つけ出します。
だから、あの先生をこのバスには乗せない。
きちんと理屈が通っています。
ふだんの日常生活では、
子どもが急に何かを嫌がると
「わがまま」「気分」「理由のない拒否」と
大人は受け取りがちです。
けれど、多くの場合、
今回の私のように、大人の側が、その理由を
まだ見つけられていないのかもしれません。
子どもたちは、ぼんやりと
世界を眺めているわけではありません。
いつも真剣に世界と向き合っています。
幼児の豊かな記憶と理屈とストーリー
今回の謎がようやく解けたとき、
目の前の「困った行動」は
怖くなったこの世界を立て直そうとした
「その子の知恵」だったとわかります。
もっとも、そこへたどり着くまでの私は
嫌われた理由を勝手に妄想しながら…
迷走していただけ、なのですが(汗)
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