セラピストの私が「神社」に立ち寄る理由

大人

言葉が少しだけ静かになる空間

神社が好きです。

神社をふと見つけると
つい立ち寄ってしまいます。

大きな神社も好きですが、小さな神社も好き。

路地裏のようなところに
ひっそりと細い入り口があって
その向こうだけ木々が深くなっている。

外からは全体が見えず、少し入ってみなければ
何があるのかわからない。

あの、不思議な静けさの空間が、たまらない。

私は、神社でお願いごとをあまりしません。
お願いごとは、いっぱいあるのだけれど……

なぜかというと、神社で過ごしていると
そんないつもの言葉たちは消えていくのです。

心の中でいつもガヤガヤ騒がしい言葉たちが
神社の圧倒的な気配を感じると、黙ってしまう。

そんな感じかもしれません。

だから、沈黙の感触を五感で味わうために
神社を訪ねているのかもしれません。

苔のついた石
雨を含んで黒くなった木の幹
地面から浮き上がった根

風が通るたび、高いところで、
さらさらと葉が触れ合う。

参道の脇を細い水がちょろちょろと流れている。
手水舎に近づくと水の音が鳴る気がする。

濡れた石の上には
落ち葉が一枚、ぺたっと貼りついている。

森、空、土、水、木、石
それらの気配が、わたしの肌にはりついてくる。

それだけでも
身体の奥に詰まっていたものが
少しずつほどけていく気がします。

神様の気配を感じるひととき

ぽつりと、雨が落ちてきました。

小さな音が重なり始めて
石畳に点々と染みが広がっていきます。

大きな樹の下で、少し待つことにします。
雨のなかを、急いで帰るほどでもない。

日常から、ぽっかりと切り離されたような時間

意識は、しだいにぼんやりとしてきます。

境内の中心に目を向けると、拝殿があります。

そこには、神様がいるとされています。

けれど、神様は何も語りません。
少なくとも、わたしの場合は。

中心には「気配」があるのに、「言葉」はない。
神社では、中心がおだやかに沈黙しています。

だから、私たちは
その大切な中心にある気配を感じながら、
少し離れたところを歩くのかもしれません。

神社の真ん中を占めるのではなく
そのまわりを、そっと歩く。

そんな空間と所作とふるまいが
わたしをととのえてくれます。

言葉が詰まった中心で暮らす日常

日常に戻れば、さまざまな場所に、
それぞれの「中心」があります。

療育の中心には、改善。
学校の中心には、教育目標。
組織の中心には、役割と評価。
子育ての中心には、
望ましい発達や、正しい対応法があります。

どれも、必要なものです。

「中心」がなければ
私たちは何を目指せばよいのか
わからなくなります。

けれど、その中心には、ときどき
言葉がぎゅうぎゅうに詰め込まれる。

何ができるようになったのか。
何ができないのか。
何を改善するのか。
どこを目指すのか。

その力に助けられることもあれば
少し息苦しくなることもあります。

セラピストとして働くわたしも
自分の体内で、言葉の濃度が
高くなりすぎる日もあります。

目の前で起きていることを
すぐに、過剰に、説明したくなる。

いつの間にか
世界が「言葉」でいっぱいになっている。

「中心」でも、「外」でもない場所

中心に疲れたとき、すべてを捨てて
完全な外へ出たくなることがあります。

役割も、評価も、専門性もない場所へ。

外に出れば、たしかに自由になります。

けれど、完全に外へ出てしまえば
わたしにとって
かけがえのないものと切れてしまいます。

子どもたち
大人たち
日々の現場

大切なものと関わることができなくなる。

時として、わたしが本当に求めているのは
中心でも、外部でもないのかもしれません。

それは、「縁(へり)」のような場所です。

だから、時々、
中心から少しはぐれて、縁に立ちます。

触れられるけれど、呑み込まれない場所
関われるけれど、所有されない場所
内側の気配と外側の風、どちらも感じる場所

「はぐれる」とは
すべてを投げ捨てて
遠くへ逃げ出すことではありません。

中心から縁へ、そっと位置を移す。

わたしにとっては、そんな感じです。

雨あがりの境内を歩く

しばらくすると、雨は弱くなりました。

木の葉から落ちてくる音が
小さく、細くなっていきます。

濡れた境内は
来たときよりも暗く、重くなっている。

それでいて
木々の緑は、てらてらと鮮やかに見える。

わたしはまた神社の縁を歩きます。

内側と外側
子どもと大人
身体と言葉
わかること、わからないこと

どちらか一方を選ぶのではなく
そのあいだを行ったり来たりできる状態へ
少しずつ自分がととのっていく。

神社で過ごしても
答えが見つかるわけではありません。

ただ、言葉で埋めなくてもよい気がします。

子どもの不思議な行動の一つひとつを
あわてて言葉で囲まなくてもよい。

目の前の人に
急いで答えを渡さなくてもよい。

世界を意味で埋め尽くす予兆がしたら
縁に立ち、しばらく眺めてみようと思える。

私たちの世界と関わるための距離が
もう一度、ととのっていく。

神社は、
そんな沈黙の奥にある気配で
大人のわたしたちを育てます。

  

   

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