子どもは、いつも「GO&GO」で生きている

子ども

カンカンカン、と世界が変わる

踏切が好きな幼児は、たくさんいます。

保育園からの帰り道
毎日おなじ踏切で足を止める子がいます。

白線の内側ぎりぎりに立って
つま先立ちで線路の先を見ています。

静かだった場所に、突然、
カンカンカンカン……
警報が鳴り始める。

赤い灯りが交互に点滅して
長い遮断棒が、ういーんと下りてくる。

さっきまで通れた道が、急に通れなくなる。

大人にとっては
足止めされる状況です。

でも、
その子にとっては、ここからが本番です。

警報が鳴る。 光が点滅する。 遮断棒が動く。
電車の音が、遠くから近づいてくる。

踏切は、道を止めるための装置なのに
かなり忙しく動いています。

踏切は、STOPという名前のわりに
ずいぶんにぎやかな場所です。

だからでしょうか。

子どもたちの多くは
踏切ごっこ遊びが大好きです。

大人が両腕を横に伸ばして、
「カンカンカンカン。踏切が閉まりまーす」
演じるだけで、踏切ごっこは、盛り上がります。

踏切ごっこには
なかなか終わりがやってきません。

「止まって!」は少しだけ意味不明

私たち大人は、子どもによく叫びます。
「止まって!」
道路の手前。 階段の上。 水たまりの直前。

大人としては、かなり切実です。
…ぜひとも、止まっていただきたい。

でも、子どもの側からすると
この「止まって!」という声かけは
少しだけ意味不明なのかもしれません。

本人は、止まっているつもりがないからです。

あの踏切の前の子も
大人には、「止まっている」ように見えます。

でも、その子は、
ココロとカラダをフル稼働させて
「じっと眺める」というモードを
かなり真剣に進めています。

音を聞いている。 光を追っている。
小さな変化を見つけている。
次に起こりそうなことを待っている。

大人から見れば、静止。

黙ってじっと見つめているその子を前にすると
大人はつい心配になります。

聞こえていないのかな?
固まってしまったのかな?
もしかして、電池が切れたのかな?

名前を呼んでも、返事はない。

でも、それは電池切れではありません。

たいていは、
頭の中がいちばん混み合っている時間です。

「静止に見える」とき、子どもは繁忙期

沈黙は、停止ではなく
フル稼働のサインなのかもしれません。

幼児の世界の本質は「GO&GO」

私たち大人は
始まりと終わりを区切りながら生活しています。

仕事が始まり、終わる。
一日が始まり、終わる。
何かを始めて、何かを終える。

いわば、「START&STOP」です。

でも、幼児たちには、
その区切りは、あまりありません。

遮断棒が上がって歩き出したあとも
その子の「いま」は途切れません。

踏切を離れる。 マンホールの蓋を踏む。
自動販売機の光をのぞき込む。
道ばたの石を拾う。 また、車を見送る。

大人には、踏切の時間が終わって、
歩きの時間が始まったように見えます。

でも、その子の中では、
たぶん、そのすべてがひと続きの「いま」です。

終わりだけでなく、始まりもない。
世界が、姿を変えながら、続いている。

STARTではなく、いつも「GO」なのです。

大人から見るとSTOPに見える瞬間にも、
子どもの中では、別のGOが進んでいる。

だから
子どもたちの世界は「GO&GO」です。

踏切でも止まっているヒマはない

踏切の遮断棒が下りると、
周囲は、いったん止まります。

けれど
その子の世界は止まりません。

むしろ、全身で忙しく受けとっています。

音が変わった。 光が動いた。
何かが近づいてくる。
まだ見えていないものの気配を感じている。

幼児は、予感や予兆を手がかりにして
世界を感じているのかもしれません。

何かが来る。
何かが動く。

そんな
「予兆」を、じっと眺めるように
感じとっているように見えます。

大人にはSTOPに見える時間も
その子にとっては
変化の気配がいちばん濃くなる時間です。

大人も、時には「じっと眺める」

踏切の前で動かないその子を見ていると、
私たち大人のことも思い出します。

大人は、前へ進めないときに
「あぁ、止まってしまった…」
そう感じるときがあります。

〇〇が、変わった。
〇〇が、終わった。

でも、大人もそんなときに…
ふと「じっと眺める」時間があり、
世界の裏でいま動いている
小さな予兆を感じとります。

その不思議な感覚は
あの踏切の子のような「GO&GO」が
発動されている証しかもしれません。

   

    

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