子どもが靴を脱ぐまでの10分間の価値

子ども

靴を脱ぐまでの10分間

小川のほとりで
その子は、靴と格闘しています。

幼児用の、マジックテープの靴です。

左右の手で、つかむ、ひっぱる、おさえる。
そのどれもが、まだ、うまく噛み合いません。

押したり、引いたりしながら
テープは、少しずつ、めくれていく。

その子は、無我夢中です。

わたしは、そのとなりで
しゃがんで、待っています。

正直に言うと、
そわそわ、していました。

手を出せば、数秒で終わるのに。
早く!川に入って遊ばせてあげたい。

手伝いたい衝動を、ぐっと抑えて
できるだけ気配を消して
となりに、しゃがんでいました。

あやしい大人です(笑)

「早く!」は、どこから来るのか

ところで、あの「早く!」は
いったい、どこから来るのでしょう。

しゃがみながら、
ひまなので、考えていました。

わたしの頭の中には
たぶん、こんな段取りが
ちゃっかり、ありました。

靴を脱ぐ。
だから、川に入れる。

川で遊んで
そろそろ、みんなのところへ戻って
お弁当を、食べて――

つまり、「靴を脱ぐ」は
それ自体が目的では、ありません。

「靴を脱いで、小川に入る」という
もっと大きなまとまりの
ひとつのパーツ。

そして「小川に入る」も
「遠足に出かけて、帰る」という
もっと大きなまとまりの
ひとつのパーツにすぎません。

小さな箱が、中くらいの箱に入り、
中くらいの箱が、大きな箱に入る。

いわば、「入れ子」のような構造です。

だから、
いちばん小さな箱が
なかなか閉じてくれないと、
その上の箱も
そのまた上の箱も
ぜんぶ、渋滞してしまう。

どうやら、
わたしの「早く!」の内なる声は
その渋滞のうしろのほうから
うるさく鳴らすクラクションでした。

予測可能性への「信仰」

しかも、これは、
靴だけの話では、ありません。

電車の時間
登園の時間
病院の予約

わたしたちの毎日は
数えきれないほどの
「始まりと終わり」を組み合わせて
できています。

そのすべてが、
「予定どおりに進むのが、正しい」

そんな前提の上に
ちゃんと、成り立っています。

わたしは他の記事で、これを
「予測可能性への信仰」と
呼んだことがあります。

スマホの検索窓に
「◯歳 できない 大丈夫?」と
打ちこむ指も
たぶん、同じ信仰のお仲間です。

この月齢で、これができるはず。
この手順で、こうなるはず。

はず、はず、はず。

わたしたち大人は
そんな「はず」の連なりの中を
今日も、きびきびと
渡り歩いているわけです。

……えらい。

わたしたちは頑張っています。
ちょっぴり、しんどい。

その子は、段取りの外にいた

でも、となりの子どもには
そんな段取りが、まるで、ありません。

急かされないでいると
「始まりと終わり」の枠組みは
すうっと、薄まっていきます。

そのかわりに、
目の前のことの、こまかいところが
どんどん、立ち上がってくる。

テープの、ざらりとした手ざわり
めくれるときの、ぺりっという音
かかとが、すこしずつ、浮いていく感じ

その子はたぶん、
「靴を脱ぐ」という作業を
していたのでは、ありません。

その一つひとつの変化を
まるごと、味わっていたのかもしれません。

だから、靴が脱げた瞬間も
「やっと、できた!」という
達成では、なかったのかもしれません。

「あ、靴が、足から離れた」

そんな、ひとつの発見。

締めくくりではなくて
足もとに、ふっと、余白が生まれた。

その余白に
次の予感が、すうっと入りこんでくる。

はっきりした「終わり」は、なくて
ただ、次の始まりへ、つながっていくだけ。

小川という、水と土の、縁(へり)で
その子は、大人が組み立てた段取りの
そとにいました。

予測可能性の外の世界

予測可能性から眺めれば
あの10分の時間は
「なかなか進まない、困った時間」

でも、その子の内側では、
発見に満ちた
とびきり忙しい10分だったはずなのです。

白状すると、わたしは
予測可能性の側の人間です。

セラピストのわたしの仕事は
子どもの、あの、
とめどない「変化」の連なりを
きれいな箱に、区切っていくことです。

「靴の着脱、できました」
「もうすこし、要介助」

始まりと終わりのある、測れるまとまりに
せっせと、翻訳していく。

つまり、わたしは
子どもの世界を予測可能にする
その道の――たぶん、専門家です。

そんなわたしが、あの日
小川のほとりで、10分
気配を消して、待っていた。

……机に戻れば、また、
わたしは「入れ子」を組む生活に戻ります。

始まりの気配と予感で生きる

でも、あの10分間。

わたしはたしかに
段取りの途中で、立ち止まっていました。

予定を、そっと脇に置いて
ただ、その子のとなりに、いた。

たぶん、ほんの少し、
はぐれていたのだと思います。

わたしたち大人も
ちゃんとまだ知っているのです。

きちんと区切った日常の
その陰のほうで
チラチラと光っている
「始まりの気配と予感」を。

ただ、予定を組むのに夢中で
ちょっと、忘れているだけ。

思い出すのに、資格も、準備も、いりません。

しゃがんで、子どもたちを、のぞくだけ。

靴が、脱げました。

その子は、脱げた靴を
しばらく、眺めていました。

それから、
あらわれた自分の足の裏を
ふしぎそうに、眺めました。

そして、ふと、
意識が、目から耳へと移っていきます。

さらさら、と。
小川のせせらぎが聞こえてきたのです。

あたらしい始まりの、気配と予感。

© 2026 studionora.jp