夕方の公園
そろそろ帰りたい大人と
まだ帰りたくない子ども
「もう帰ろう」
「イヤ!」
「もう暗くなるよ」
「まだ遊ぶ!」
大人には、帰る理由がちゃんとあります。
夕ごはんの時間になる。
お風呂にも入らなくてはいけない。
明日の準備もある。
つまり、大人は、正しい。
けれども、子どもは正しさでは動きません。
それどころか、正しいことを伝えるほど
子どもはますます動かなくなったりします。
こういう場面を、セラピストの私は
たくさんの親子のそばで見守ってきました。
そして、セラピスト経験を積み重ねるなかで
こう思うようになりました。
子どもたちは、親が強調する「正しさ」に
反対しているのではないのかもしれない。
「自分を置き去りにして話が進むこと」に
反対しているのかもしれない、と。
100回のすべり台
「あと何回すべり台をしたら、帰れそう?」
そう尋ねると、子どもは急に考えはじめます。
「100回!」
ずいぶん強気です。
「100回だと、おうちに着くころには、
きっと、朝になっちゃうね」
「じゃあ10回」
「5回くらいでどう?」
「7回!」
こうして、まとまることがあります。
大人が勝ったわけでも
子どもが勝ったわけでもありません。
大人の「帰りたい」と
子どもの「まだ遊びたい」
その二つの気持ちのあいだに
ふたりで帰るための道を一本つくった。
それだけのことです。
でも、それだけのことが
子どもにとっては大きい。
子どもが求めているのは
いつでも自分の希望が通ることではない。
「ぼくも、この話の中に入りたい」
「わたしの気持ちも、ちゃんとここにあるよ」
たぶん、そういう願いです。
子どもは「話が違う」に厳しい
子どもは、約束をよく覚えています。
「あとでね」
「これが終わったらね」
大人は、その場を少し穏やかにするために
やんわりと言っただけかもしれません。
ところが子どもにとっては、立派な約束です。
しばらくしてから
「“あとで”って言ったよね?」
きっちり確認されます。
大人が忘れていても
子どもの心のノートには
しっかり書き込まれている。
子どもが大切にしているのは
世の中の正しさよりも
「ぼくとあなたのあいだで決めた体験」
なのかもしれません。
約束の向こうには
「あなたを信じてもいい」
という気持ちがあります。
だから子どもは
「話が違う!」に
あんなにも厳しいのだと思います。
「わかった?」の、その先
大人は、子どもに対して
こう確認することがあります。
「わかった?」
「約束できるよね?」
けれども、その「はい」が
大人に押されて出てきた言葉なら
子どもの心はまだ約束の中に入っていません。
口では「わかった」と言いながら
心のほうでは
「ぼくは決めていない」
と感じていることがあります。
納得していない約束に
人は心から縛られません。
かといって、合意とは
どちらかが少しずつ我慢する
妥協のことでもありません。
「あなたには、そう見えているんだね」
「私は、こう考えているよ」
違う世界を持つ者どうしが
おたがいの存在を認めたうえで
そのあいだに何かをひとつだけつくる。
ふたつの気持ちが
ぴったり同じになる必要はないのです。
完全にわかり合えなくても
「あなたの世界も、わたしの世界も
どちらも、ここにあっていい」
そのように伝わること。
その瞬間、二人のあいだに
少しだけ新しい関係が生まれます。
私が想うに、そこには
「小さなトキメキ」があると感じます。
「まだ帰らない」の奥にある風景
「まだ帰らない!」
大人の世界では
「もう時間だから帰る」が正しい。
けれども、子どもの世界では
「別の物語が動いている」のかもしれません。
いま、遊びが完成しそうだった。
やっと友だちと仲良くなれた。
この石を、あと一つ見つけたかった。
同じ「帰らない」という言葉でも
その奥にある風景は、一人ひとり違います。
その風景を見ないまま
「わがままを言わないの」で片づけてしまうと、
子どもは
自分の世界ごと否定されたように感じます。
反対に
「まだ途中だったんだね」
「最後までやりたかったんだね」
そう受け止めてもらうと
子どもは少しずつ
こちらの話も聞けるようになります。
私たちは
自分の世界を尊重してくれた相手なら、
言葉を受けとってみようと思える。
子どもは、そこがとても正直です。
うまくいかない日のこと
ここまで書いておいて、なんですが。
「あと何回?」と聞いても
まったく折り合わない日があります(汗)
こちらに心身の余裕がなくて
交渉どころではない日もあります。
まるで、遠洋漁船のマグロのように
ピチピチと暴れまわる子どもを抱えて帰る。
そんな夕方も、正直あります。
それでいいのだと思います。
毎回、きれいに合意できる親子など
たぶんどこにもいません。
もっと大事なことは
そういうやりとりの時間が
「ときどきある」ということのほうです。
いつも正しく対応できなかったことより
一度でも「きみの言い分も聞くよ」
という時間があったこと。
子どもが覚えていくのは
たぶんそちらです。
幼児期の学びとは
学童期の準備の季節ではない。
いよいよ小学校に入れば
学童としての子どもたちは
すでに決められたルールと向き合います。
時間割、チャイム、提出期限、集団行動
納得しているかどうかとは別に
従わなければならないことも増えていきます。
それも学童期にはとても大切な成長です。
けれども、幼児期ならではの季節を
その準備期間としてだけ見てしまうのは
少しもったいない気がします。
自分の気持ちを、思いきり、表現すること。
違う世界を持つ相手と、ぶつかること。
泣いたり怒ったりしながら
もう一度つながり直すこと。
そして、自分と相手のあいだに
新しい約束をつくること。
一見すると遠回りに見えるその時間のなかで
子どもは、人と生きるための感覚を育てます。
合意のない約束は、時として
「外から押さえる鎖」になります。
合意から生まれた約束は
「人と人をつなぐ、見えない糸」になります。
夕方の公園の続き
すべり台のてっぺんで
子どもが指を折って数えています。
あと3回
あと2回
大人は静かにベンチで待っています。
この5分間は、どこにも記録されません。
連絡帳にも、成績表にも、残らない。
けれども、ここで交わされているものを
私はずっと見つめていたいと思うのです。
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