世界と向き合うエネルギー
まあ、控えめに言って、
幼児期の子どもたちは
「NO!」のかたまりですよね(笑)
からだ全体で嫌がり、拒み、突き返す。
幼児期のそんな姿が、人生を通して
「世界と向き合うチカラ」の源になります。
根拠のない「NO! 」の季節
まだ小さな子どもは、社会のルールより先に
自分のからだの直感を頼りに生きています。
なぜか食べ物を口から吐き出す。
なぜか抱かれるのを嫌がる。
なぜか気に入らないものを全身で突き返す。
まだことばになる前の
根拠のない、「イヤ」
わたしはこれを
野良(のら)ならではの
「根拠のない『 NO!』」と呼びます。
誰にも耕されないぞ
飼いならされないぞーーそんな意味もこめて。
もちろん、大人には、わがままに見えます。
けれど
それは自分の安全と輪郭を本能的に確かめる
生命のいちばん原初的なチカラです。
だから、幼児期とは
このような「根拠のない『 NO 』」を
思いきり出していい季節なのだと思います。
学童期になると風向きが変わる
ところが、小学校に上がるころから
求められるものが変わります。
「正しい『 YES 』」の季節の到来です。
授業では答えは一つ。
まちがえないほうがいい。
空気を読んで、みんなに合わせられる子が、
認められやすい。
答え合わせと協調の世界では
意味不明な「 NO 」と「まちがい」は
避けたいものになっていきます。
幼児期の「根拠のない『 NO 』!」は
飼いならされ、声をひそめていきます。
「NO」と向き合うチカラ
学童期の難しさは避けようがないけれど
幼児期に「 NO 」を出しておくことには
就学後に効いてくる意味があります。
自分の「 NO 」を安心して出せた子は
他者からの「 NO 」も受け取れるようになる。
「『イヤだ』と言っても嫌われなかった」
そんな経験を積み重ねてきた子は
他者から「ダメ」と言われても
それを全否定として抱えこまずにすみます。
そして、もう一つ。
チャレンジ精神の根っこにあるのは
たくさんの『 NO 』にさらされても
過剰に落ち込まずにいられる姿勢です
新しいことに挑めば
うまくいかないことのほうが多い。
転ぶ、失敗する、拒否される。
世界から何度も「 NO 」を突きつけられる。
高い所ですべり、積み木を崩し
それでもけろりとまた手を伸ばすーー
夢中で遊ぶ子の姿には
そのチカラがそのまま反映されています。
挑戦するチカラとは、才能や度胸ではなく
たくさんの「 NO 」にさらされても
気持ちが折れずにくり返せるチカラ。
その土台は
正解と正しさを覚えるよりずっと前の
「根拠のない『 NO 』!」の季節に育ちます。
幼児期の教育の難しさ
ただし、大事な区別があります。
子どもを強くするのは
「この世界からの『 NO 』」です。
積み木は正しく積まなければ崩れる。
友だちは嫌なら「イヤだ」と言う。
そこに良い悪いの評価はありません。
ただ、そうなる、というだけ。
けれど、大人が「正しさ」を持ち出して
上から目線で突きつける「 NO 」は、
まったく質が違う、別のものです。
育てたいという思いから出たことばでも
大人からの正しさの押しつけとしての
「ダメ出し」として子どもに伝わる。
世界からの「 NO 」は「事実」ですが
大人からの不適切な「 NO 」は「評価」です。
評価は、失敗を価値基準にすり替えてしまう。
しかも、もっとやっかいなことは
「ダメ出し」よりも、「ほめる」行為です。
たとえば
「上手にできたね〜🎶」という賞賛も
状況と言い回しを間違えると
正しさの押しつけだけが強調されます。
大人の考える「正しいやり方」。
それができたときだけ、ほめられる子は
失敗を避け、正解を探すようになる。
ほめられるための「正しい YES 」を
過剰に身につけていく。
ダメ出しも、賞賛も、
「正しさ」の物差しとセットになったとき
子どもを挑戦から遠ざけてしまいがち。
なぜ、学童期からは難しいのか
このチカラを、学童期から育てるには
なかなかうまくいかない事情があります。
「ことば」という社会文化的装置が
すでに育ってきているからです。
幼児期の子どもは
「ことばになる前の世界」を生きています。
だから、幼児たちは失敗しても
無色透明の出来事(ハプニング)として、
体験を通り過ぎていける。
転んでも、次の瞬間には別のことに夢中
けれど、学童期の子どもは
出来事(ハプニング)を言語化して
「根拠のある価値評価」に変えてしまいがち。
学童期では
評価の軸で体験を記憶されやすくなります。
だから、ことばが育ってきた学童期に
「失敗を恐れなくていいよ」と教えるのは
思いのほか難しいのです。
幼児期は学童期の準備期間ではない
幼児期の「根拠のない『 NO 』!」は
直すべき反抗でも、未熟さでもありません。
言い換えれば、この世界に対して
非言語的につながるための回路を
五感を使って育てている行為です。
学童期の、言語化されてしまった
根拠のある正しい「 YES 」を急ぐ前に。
思いきり意味不明の「イヤ!」を叫び
それでも大丈夫だと確かめられる時間を
たっぷり残しておく。
幼児期は続くよいつまでも
幼児期ならではの「野良の炎」は
ことばが私たちの世界を覆ったあとも
私たち大人の世界の「どこか」で
ほのかに灯り続けています。
オラオラ……反抗と承認を求める炎ではない。
キラキラ……明るくて健全すぎる炎でもない。
それは、のらのら……不思議な炎です。
大人になった私たちは、時々、ふと、
そんな「幼児期の炎」の気配を
今でも感じようとしているのだと思います。
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