幼児期の危険な行動の価値
幼児期の子どもたちを相手に
セラピストとして長く働いていると
「危ない行動」の意味について
いろいろと考えます。
ちなみに
いまの幼児教育では
「探究学習」が流行っています。
私も好きなテーマです。
じつは
おそらくこれらはすべて
深いところでつながっています。
そこで
幼児の「生々しい野生」を見つめる立場から
幼児期の探究心について整理しておきます。
そもそも
大人の私たちは世界を理解しようとするとき
できるだけ全体を見渡せる「中心」を選んで
立とうとします。
けれども、幼児期の子どもたちは、中心よりも
内と外が触れ合う「縁(へり)」へ向かいます。
公園の端
フェンスの隙間
テーブルのぎりぎり
そんな衝動と熱意には
世界の輪郭をからだで確かめようとする
子どもならではの探究心があります。
大人は「中心」から理解する
私たち大人は、知らない場所に入ると
まず全体を見渡せるところを探します。
公園なら広場の中央
部屋なら人の動きがわかる位置
会議や組織でも
情報が集まる「中心」に近づこうとします。
中心に立てば、全体の大きさや配置が見えます。
どこに何があり、誰がどこにいて
何が起きているのか。
大人にとって、世界を理解するコツとは
全体像を見渡せる場所を見つけて
そのなかでの自分の立ち位置を確認する。
だから、大人は、子どもにも
なるべく真ん中にいてほしいと願います。
「そんな端っこに行かないで」
「みんながいるところで遊んで」
「落ちるから、もっと真ん中でやりなさい」
大人たちの目には
中心が安全で、
辺境の縁(へり)は危険に見えます。
けれども、子どもたちは、なぜか
衝動と熱意で、中心から離れていきます(笑)
幼児期はオン・ザ・エッジの思考
子どもは生まれつきの「オン・ザ・エッジ」です。
いつだって、「へりの上」にいる(笑)
公園や緑地に出かけると
広々とした真ん中よりも
植えこみの裏側
舗装と土の境目
フェンスの近く
草むらの端へ向かいます。
大人たちが
「この広場で遊ぶだろう」と予想していると
子どもはいつの間にか視界から消えている。
大人があわてて探すと
敷地の境界にあるミゾへ降りていたり
フェンスの隙間に身体をねじこんでいたり
植えこみの奥からひょっこり顔を出したりする。
子どもが所在不明の場合、まず「縁」を探す。
幼児に関わる仕事をしていると
そんな習慣すらあります。
もちろん、安全への配慮は必要です。
けれども、子どもが縁へ向かうことを
「落ち着きのなさ」「危険行動」で説明すると
大事なことが見えなくなってしまいます。
子どもは、内と外の境界を見つめているのです。
「境界」から世界の輪郭が浮かぶ
幼児期の子どもたちにとって
この世界は、最初から地図のように
整理されているわけではありません。
ここまでは公園で、ここから先は道路
ここまでは机の上で、ここから下は床
ここまでは自分の身体で、
ここから外は他者や物の世界
子どもは、こうした境界を
ことばだけでは理解できません。
近づき、触り、またぎ、のぞき込み、
ときには落とす。
ときには自分自身がはまり込みながら
からだで理解していきます。
境界を探ることで、内側と外側が分かれる。
内と外が分かれることで
「世界の輪郭」が浮かび上がる。
子どもにとって世界を知るとは
中心から全体を眺めることではありません。
エッジの効いた輪郭に
自分から触れにいくことなのかもしれません。
「縁(へり)」で繰り返される探究
この「縁(へり)に向かう志向」は
公園だけの話ではありません。
たとえばテーブルにおもちゃを広げると
真ん中に十分な空間があるにもかかわらず
なぜか端へ端へと寄せて遊ぶ子どもがいます。
ミニカーを、テーブルの縁ぎりぎりで走らせる。
積み木を、落ちそうな場所に、そっと置く。
おもちゃを、指先で少しずつ押し出していく。
そして、落ちるか落ちないかのところで
ぴたりと止める。
大人は、見ているだけで落ち着きません。
「真ん中で遊べばいいのに…」
「落とさないでね!」
「ほら、また落ちた…」
「また落とした」のではなく
「もう一度、世界の法則を味わった」
子どもにとって
「落とさないこと」が目的ではありません。
どこまで押したら落ちるのか。
見えている部分がどれくらい残っていれば、
まだ机の上にいられるのか。
落ちる直前、指先にはどんな重さが伝わるのか。
落ちた瞬間、音や視界はどう変わるのか。
子どもはぎりぎりの場所で感覚を味わいながら
重力を、距離を、奥行きを、
モノが在る、消える、を見つめています。
「縁」は、新しい存在と出会う場所
「縁」という文字は、ちょっと不思議です。
「へり」とも読み、「えん」とも読みます。
端っこでありながら
「“なにか”と“なにか”が出会う場所」でもある。
土とコンクリートが出会う。
机の上と床が出会う。
安全と危険が隣り合う。
自分の身体と、世界が触れ合う。
「境界」とは
ただ世界が終わる場所ではありません。
異なる二つの世界が接触して
変化が起きる場所です。
子どもたちは「縁」をじっと見つめることで
「異世界の“気配”」を感じています。
だから子どもは、縁に惹かれるのでしょう。
そして大人も縁が嫌いなわけではありません。
カフェでは、壁際の席を選び
部屋では、隅に落ち着く。
ただし、大人の私たちは
安全だとわかっている縁しか選ばなくなった
というだけなのかもしれません。
世界の端っこで、世界そのものを
大人は、子どもを「中心」へ戻そうとします。
もちろん、子どもたちの命を守るために
止めなければならない場面もあります。
それでも、子どもがなぜそこへ向かうのか?
もう少しだけ想像してみたいと思うのです。
フェンスの隙間をのぞく子ども
テーブルの端でミニカーを止める子ども
道と草むらの境目を、延々と歩き続ける子ども
その姿は、世界の輪郭を
自分のからだでなぞっているのです。
子どもたちは、中心にいなくても、
世界を見失ってはいません。
むしろ縁に立つことで
中心にいる大人には見えない世界を
ていねいにじっくりと見つめています。
幼児たちは、今日も、世界の端っこで
新しい世界を、繰り返し、発見しています。
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